部屋に一日中こもっているkekeが気になって、「今日は天気もいいらしいし桜がきれいだよ。公園まで行ってみてはどうだろう?」と言ってから、「しまった!!」と思った。
「桜がよく咲いてきれいらしいよ。」だけにしておけば良かった。
「公園まで行ってみてははどうだろう」は一言余計だった。
私はkekeに「だんだん自分の人生は好きにしていいんだと思えてきたよ。これはここだけの話だけどkekeが生きるのがどうしても辛くて死にたいと思ってそうしてしまっても(それはとても悲しいけれど)誰にも止める権利は無いような気がしてきた。」と言うと、kekeは喜んで「そう言われたから、これから好きなことを好きなだけしてからそうしよう。」と言うので、「マジかよ。やっぱり止めなさい。」と言った。
kekeは「世の中は金が全てなんだ」とまた言うので、「私も基本的にはそう言う考えなんだけど・・う~ん100%そうとは言えないんじゃないかなぁ・・・例えば家族のキズナとか。」と自信なさげに言うと、kekeは「いや世の中は金だ」と言うので、私は「そうかなぁ・・」と言い、「例えば、金がたくさんもらえたら、kekeは学校に行くかい?」と言うと、「1億なら行く」と言うので、「1億は用意できないけどなぁ・・・そうかなぁ」と自信なさげに答えた。そして「でも私も世の中みんな金、って言う考え方には基本的には賛成なんだよ。」と言った。
この会話が正しいのかどうかは全く分からなかった。
それからこれも正しいのかどうか分からなかったが、早めに言っておこうと思って言ってみた。
「これからはkekeもバイトなり探すだろうから、小遣いは一切ナシにしようと思うんだよ。できれば食費ぐらいは入れてほしいんだ。」と言うとkekeは「携帯代もか?」と言うので、「だって、家にいるだけなら携帯は必要ないだろう?」と言うと、kekeは納得してくれた。
「でも、勉強でバイトも何もできないなら、今まで通りでもいいんだけど。」と言った。
最後の一言はやっぱり余計だったかもしれない。
「kekeの小遣いだったお金でこれから(私は)服も買ったり、美容院にも行こうと思う。白髪染めもバカにならないんだよ。それもこれからはちょこちょこ行けるよ。」と言うと、kekeは「そんなものに使うの?無駄だなぁ(笑)自分で染めればいいのに。」と言いながらも、嫌そうではなかった。
仕事を終えて家に帰ると、kekeは寝ていた。
部屋着ではないから、どこかに行ってきたんだろう。
「どこか行ったの?」と言うと、kekeは一瞬起きて指を差そうとしたけど、また寝てしまった。
昨日の夜は眠れなかったらしい。(どうしてだかは知らない)
「部屋で寝た方がいいんじゃないの?」と言うと、素直に部屋に行って寝てしまった。
「どこ行ったの?」はまたまた一言余計だったかもしれない。
子供を信じると言うのは、どうしてこんなにも大変なことなんだろう。
でも、もう学校なんてどうでもいいのかもしれない。
それより、kekeが自分のしたいように伸び伸び生きて行く事の方が大切なのかもしれない。
どうしてそんな風に思えるようになったんだろう?